旅の思い出は、コーヒーのある風景

旅の楽しみは、あてどなく旅先の街を歩いてみることだ。街なんてどこも大差ないじゃないか、なんて思うなかれ。ひとつひとつの街に、その土地の自然環境と、そこに生きている人々の醸し出す雰囲気とがあいまって、それぞれに味わい深い空気を感じることができる。

この空気を感じるには視覚だけではダメで、今ではインターネットを通して何でも見られるようにはなったけれど、旅をして得られるものはその比ではない。

街歩きに疲れたら、喫茶店に入ってみる。日本中どこにでもあるチェーンは「変わらない」ことが利点で、それはそれでありがたいのだが、旅に出たときには個人の店が楽しい。メニューをめくりながら、その場所ならではの甘味を見つけて、一緒に飲むコーヒーのおいしさは何物にも代えがたい。

個人的な思い出をひとつあげよう。わたしはそのとき、就職の面接で松江にいた。面接を終え、明らかに失敗したのに、時間的にも帰るに帰れず、宿を取って街に散歩に出た。

松江の街は宍道湖と切り離しては存在しない。宍道湖に流れ込む水路が街に張りめぐっていて、水の多いきれいな街だった。そんな水路のひとつをたどるようにして、わたしは湖のほとりにあるその喫茶店にたどり着いた。

コーヒーを注文し、しばし宍道湖を眺めていた。一定のリズムを刻む波模様を見ていると心が落ち着いていくのが分かった。やがてコーヒーが運ばれてきた。間をおかず、空を覆っていた雲が薄くなり、宍道湖に沈む夕日がまばゆいばかりの姿を薄い雲越しに見せた。

今日の日が沈み、明日の日がまたやってくる。そんな当たり前のことを確信したとき、わたしはまた明日から頑張ろうと、柄にもなく素直にそう思った。

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