コーヒーが陰性だとか陽性だとか本当にどうでもいいことだから
一時期マクロビオティックというインチキな健康法が流行っていましたが、あれは何だったのでしょうか。
基礎理論に「易」を置き、食べ物を「陰」と「陽」に分けて、体質に合わせて陰と陽の食べ物をバランス良く食べるというと、なんとなく体によさそうですが、実際は玄米食を中心として、ベジタリアンのように極端に肉食を否定するわけではないけれど、しかし極力菜食を推奨するというのが大まかな骨子。
これのどこがインチキかというと、まず易についてまったく理解していない。易というのは、陰陽説から発展したもの。
万物には陰と陽の性質があり、それが互いに対立しつつも釣り合っているというのが陰陽説。
易は陰陽がさらに四象に別れ、四象が八卦に別れ、八卦がさらに六十四卦に別れたと考え、その六十四卦によって陰陽の非常に細かい移り変わりを説明したもの。
確かに食べ物にも陰陽の別はあります。しかし、それは対比する対象があればこそ成り立ちます。
例えば一つの野菜、一つの食肉を指して、それが陰だとか陽だとか言うことはできません。なぜならばそこには比較対象がないから。
ですから、「比較した中で陰」というものでも、それ単体で陰ではないのです。
その点をわきまえず、陰陽を「対比によって変化する性質」であると理解できず、「絶対的な性質」だと思い込むことで食を語るマクロビオティックは完全にインチキな思想。
さて、マクロビオティックでは南方の作物は体を冷やす「陰」の性質、北方の作物は体を温める「陽」の性質を持つとしています。
実はコレ単なる根拠のない思い込みで、実際には南方の作物にも体を温めるものはあり、その逆も然り。
しかし、マクロビオティック「信者」はコーヒーが南方の作物なので、勝手に「陰性」であるから避けるべきなどというのですね。
コーヒーは嗜好品で、それは「薬膳」のたぐいからは外れる存在。
「薬膳」というのは中国を発祥とするものですが、例えば中国ではコーヒーよりはるかに歴史がある茶について、体を冷やすだの温めるだのということは問いません。
確かに緑茶は体を冷やすとか、烏龍茶や紅茶は体を温めるなどという一見「薬膳」風のことを言う人はいます。しかし考えてみてください。紅茶なんてせいぜい200年程度の歴史しかありません。
烏龍茶が知られるようになったのは最近のことで、それまでは福建方面のマイナーなお茶でした。中国全土で広く飲まれていたのは緑茶。
ですから、様々なお茶を「対比」して陰陽を決めるなどということは行われてこなかったのです。
そして、中国人というのは極端に冷えることを嫌う民族。その中国人が、最低でも2000年もの間、磚茶や抹茶や煎茶などの形で緑茶を愛飲してきたのは、それが健康云々とは別の嗜好品だったからです。
情報化社会の今日では、中国でも日本の健康オタクのたぐいと同じタイプの連中が、どのお茶が体を冷やすだの温めるだのを考えるようになり、また近年急速に広まったコーヒーについても似たようなことを言い出すようになりました。
でも、中国でもコーヒーは体を冷やすだの温めるだの、人によって言うことが違います。
マクロビオティックでコーヒーは陰であり、体を冷やすと勝手な設定を作っていても、それは別に思い込み以外の根拠はありません。
それを信じるのは勝手ですが、根拠のないものを根拠なく信じて從うのは愚かなことではないでしょうか。
コーヒーというのは薬でも健康食品でもない嗜好品。好きな人がおいしく飲めればそれでいいものです。
嫌いなら飲まなくていいし、好きな人が妙な理屈に騙されて、飲むのを我慢しなくてはならないようなものでもありません。